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東京高等裁判所 平成3年(ネ)654号 判決

控訴人 甲野春子

右訴訟代理人弁護士 行木武利

被控訴人 乙川一郎

同 乙川二郎

右両名訴訟代理人弁護士 中野公夫

同 藤本健子

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人らの請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、第一、第二審とも、被控訴人らの負担とする。

事実

第一当事者双方の申立て

一  控訴人

主文と同旨

二  被控訴人ら

本件控訴を棄却する。

第二当事者双方の主張

当事者双方の事実上及び法律上の主張は、次のとおり補正するほかは、原判決の事実摘示と同一であるから、これをここに引用する。

一  原判決二枚目表六行目の「死亡した。」の次に「夏子の死亡当時の遺産は本件土地の所有権のみであり、そのほかには何らの財産もなかった。」を加え、同一〇行目の「公正証書」を「公正証書遺言の方式」に、同裏六行目の「遺留分に基づき、」を「被控訴人らの各遺留分の範囲内で、夏子の控訴人に対する遺贈を減殺して、」に改め、同行目の「持分」の前に「遺留分減殺を原因とする」を加える。

二  原判決二枚目裏九行目の全文を次のように改める。

「1 請求原因1の事実は認める。

2 同2の事実のうち、その主張の日に夏子が死亡したことは認めるが、その余の事実は否認する。

3 同3及び4の各事実は認める。」

三  原判決二枚目裏一〇行目の「2」を「4」に改める。

四  原判決三枚目表六行目の「しばらくは」の次に「控訴人の肩書住所地にあった居宅で」を加える。

第三証拠〈省略〉

理由

一  請求原因1、3及び4の各事実並びに同2の事実のうち、夏子が昭和六二年二月一〇日に死亡したことは、いずれも当事者間に争いがない。また、〈書証番号略〉、被控訴人一郎及び控訴人の各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、夏子は、その死亡当時の遺産としては、本件土地の所有権のほかに、郵便貯金二四万三六六六円、三菱銀行江古田支店の定期預金四〇万円及び普通預金五万四七九三円、並びに北海道拓殖銀行巣鴨支店の定期預金一五〇万円及び普通預金四〇万七四八三円の各債権を有していたこと、夏子の葬儀費用は約三九〇万円掛かり、右の北海道拓殖銀行巣鴨支店の定期預金及び普通預金債権は全部払い戻されて、香典等とともに、右費用の一部に当てられたこと、その余の預貯金債権については、未だ相続人間において遺産分割の協議がなされていないことが認められる。

そして、請求原因5の事実のうち、被控訴人らが控訴人を相手方として東京家庭裁判所に遺留分減殺の申立てをしてその旨の意思表示をし、その意思表示が昭和六三年二月一三日に控訴人に到達したことは、当事者間に争いがない。

二  そこで、抗弁について判断する。

1  先ず、〈書証番号略〉、証人甲野太郎及び同渡邊道子の各証言並びに控訴人、被控訴人一郎及び同二郎の各本人尋問の結果、弁論の全趣旨とを総合すると、夏子が本件土地の所有権を控訴人に遺贈するに至った経緯等は、次のとおりであると認められる。そして、被控訴人両名の原審における各本人尋問の結果中の右認定に反する供述部分及び〈書証番号略〉の右認定に反する記述部分は採用することができず、その他に右の認定を覆すに足りる証拠はない。

(1)  夏子は、昭和三九年当時、夫の乙川三郎、二男の四郎及び三男の被控訴人二郎とともに、中野区〈番地略〉の借地(以下「本件借地」という。)上にあった住宅(以下「本件旧宅」という。)に居住して、生活していた。長男である被控訴人一郎は、昭和三二年九月に妻の冬子と婚姻し、昭和三九年当時は横浜市保土ケ谷区内にあった公団住宅に世帯を構えていた。長女である控訴人は、昭和三五年一一月に夫の太郎と婚姻し、昭和三九年当時は東京都世田谷区〈番地略〉所在の東京都住宅供給公社の賃貸住宅(以下「大蔵住宅」という。)に、夫及び長男(二歳)とともに住んでいた。

(2)  三郎は、昭和三九年七月に死亡した。本件旧宅の所有権及び本件借地の賃借権を含む三郎の遺産は、全て夏子が相続した。その当時、四郎は未だ独身であり、被控訴人二郎は大学に在学中であった。そのため、被控訴人一郎の夫婦は、横浜市に自宅を持ったまま、週末以外は本件旧宅で夏子と同居して、その生活の面倒を見ていた。

(3)  ところが、被控訴人一郎は、昭和四〇年八月末ころに、大蔵住宅に控訴人夫婦を訪ね、自分は何時転勤を命じられて転居しなければならないかもしれないし、夏子は同被控訴人の妻である冬子と些細なことで喧嘩をして両名の折り合いが悪いので、これからは、控訴人夫婦が家族とともに本件旧宅に移り住んで、夏子の面倒を見てもらえないかと頼み込んだ。控訴人は、乙川の家を出て太郎の許に嫁いだ身であり、大蔵住宅が住居環境としても恵まれていたこともあって、本件旧宅に移り住んで夏子と同居することには消極的であり、一旦は右の申し出を断った。しかし、その後、被控訴人一郎は、夏子との同居を一方的に打ち切り、妻の冬子とともに、横浜市の自宅に帰ってしまった。そして、夏子と同居していた四郎は、就職して間がなく、かつ、独身でもあり、経済的な扶養能力がなかったし、被控訴人二郎は、未だ大学生であったことから、本件旧宅において夏子の身の回りの世話をして、同人の面倒を見ることが不可能であった。

(4)  そこで、昭和四〇年一二月中旬に、被控訴人一郎、同二郎、控訴人の夫太郎(当初は控訴人が出席する予定であったが、生後三箇月の二男が肺炎になったので、代わりに太郎が出席した。)及び四郎が本件旧宅に集まり、今後誰が夏子の面倒を見るかについての話し合いをした。そして、その席では、夏子は、控訴人との同居を希望したが、その日には結論が出なかった。

その後も、被控訴人ら及び四郎は、何度も相談を重ねたが、夏子との同居はしたくないという被控訴人一郎の意思は固く、四郎は就職して日も浅く夏子を扶養する経済的能力がなかったし、被控訴人二郎は大学生であったことから、結局、控訴人夫婦に夏子との同居を頼み込むほかないことになった。そこで、被控訴人二郎は、その余の兄弟に代わって、同月末ころに太郎宛に手紙を書き、控訴人夫婦が夏子と同居して同人の面倒を見てくれるように頼んだ。

(5)  控訴人は、太郎とも相談の上、右のような事情では、自分たちが夏子と同居して同人の世話をするしか方法がないものと考え、本件旧宅に移り住む意思を固めた。しかし、太郎としては、何度も抽選に外れた末に、やっと入居することができた大蔵住宅の入居資格を放棄してまで本件旧宅に移り住むことになるので、将来ある程度の期間は本件旧宅に住んでいられるという保証が必要であった。そこで、太郎は、被控訴人ら及び四郎に対して、せっかく移り住んだ後、直ぐに出てくれといわれても困るので、一〇年間位を目処として、本件旧宅で生活をさせてもらいたい旨を申し入れた。被控訴人一郎は、本件旧宅の敷地の借地契約の残存期間が一三年であったことから、区切りがよい一三年間は同居してもらいたいという意向を示した。そこで、太郎は、親族間の問題でもあるし、一〇年位が経過した時点で改めて話し合えば良いものと考えて、控訴人及び子供ら(当時長男は四歳、二男は零歳であった。)とともに、本件旧宅に移り住むことになった。そして、太郎は、昭和四一年四月二日に大蔵住宅の入居資格を放棄した上、控訴人一家で本件旧宅に移り住み、夏子、四郎及び被控訴人二郎との同居を始めた。夏子は、当時六七歳であった。

(6)  本件旧宅の建物は、控訴人一家の入居時には建築後四〇年以上も経っていたことから、太郎は、その入居の際に被控訴人らの了解を得た上、台所や浴室に大幅な改造、修理を施した。また、その後の数年間に屋根の葺き替え、その他の修繕をも行った。そして、これらの改造、修繕等には二〇〇万円以上の費用が掛かったが、これらの費用は全て太郎が負担せざるを得なかった。また、太郎は、夏子に家賃は支払わなかったものの、夏子と被控訴人二郎の生活費を負担するほかに、本件借地の賃借料をも負担して支払っていた。その後、被控訴人二郎は、昭和四一年に大学を卒業し、昭和四二年八月ころには本件旧宅を出て、単身で生活するようになった。

(7)  昭和五〇年に至り、末子の被控訴人二郎も一人前の社会人となり、乙川家側の経済状態も安定したと思えたので、太郎は、本件旧宅を乙川家側に明け渡したいと考え、被控訴人一郎に相談を持ち掛けた。ところが、被控訴人一郎は、同年一二月に、それまで勤務していた会社を退職して、札幌市に転居することになったとして、あと二、三年は夏子の面倒を見てもらいたい旨を太郎及び控訴人に頼み込んだ。そこで、太郎及び控訴人は、やむを得ずそのまま本件旧宅で夏子との同居を続け、同人の面倒を見ることとなった。夏子が七六歳の時であった。

(8)  控訴人は、昭和五三年一一月半ばころになり、被控訴人一郎が札幌市に転居後三年近くになることから、同被控訴人の勤務先の会社に電話して、同人の動静を尋ねたところ、同被控訴人は既に一箇月以上も前に東京都に戻り、豊島区巣鴨のマンションに居住していることが判った。しかし、この転居は、被控訴人一郎からは、夏子にも控訴人夫婦にも全く知らせていなかった。夏子は、控訴人から被控訴人一郎が既に東京都内に戻っていると聞かされ、同被控訴人に会いに行くと言い出した。

そこで、控訴人は、夏子を連れて被控訴人一郎のマンションを訪ねたところ、同被控訴人は不機嫌な様子ではあったが、夏子を引き取ると言い、夏子はそのまま同被控訴人のマンションで同居することとなった。

右のように、夏子が長男である被控訴人一郎と同居することになったので、太郎は、乙川家の住宅である本件旧宅を早急に被控訴人一郎に明け渡さなければならないものと考え、転居先の住宅を探し始めていた。

(9)  しかし、夏子は、被控訴人一郎の妻冬子との折り合いがうまく行かなかった。そのために、両者間で揉め事が生じ、冬子は、昭和五三年一二月一〇日に同人と夏子とは一緒に暮らせないので本日夏子を控訴人の許に帰す旨を控訴人に電話で伝え、夏子の引取りを求めた。そして、被控訴人一郎からもその旨の依頼があり、夏子も同被控訴人の世話にはなりたくないという希望であったので、控訴人もこれに応じ、夏子は、そのころ被控訴人一郎宅から本件旧宅に戻り、再び同所で控訴人及び太郎と同居して生活することになった。したがって、夏子と被控訴人一郎との同居は、僅か三週間程で終わった。夏子が七九歳の冬のことであった。

(10)  夏子は、控訴人と太郎の夫婦の許に戻った後、同夫婦及び子供たち(当時長男は一七歳、二男は一三歳であった。)と本件旧宅で同居していたが、太郎は、前記のとおり大蔵住宅の入居資格を放棄してまで本件旧宅に移り住んだ経緯があるとともに、夏子が一時被控訴人一郎のマンションに移った際には、真剣に転居先の住宅を探し始めていたこともあったことから、夏子所有の本件旧宅の使用関係を明確にする必要を感じ、そのことについて昭和五六年六月に被控訴人一郎及び夏子と相談した。その結果、夏子と太郎との間で、〈1〉本件旧宅(ただし、夏子が使用している四・五畳の一部屋を除く。)を夏子が太郎に賃貸する、〈2〉その賃料は月額九万円とし、うち七万円は夏子の指定預金口座に振り込み、残りの二万円は別途の預金口座に振り込む、〈3〉本件旧宅の補修は、夏子、太郎及び被控訴人一郎が協議して行い、その費用は、別途に積み立てた夏子の預金から支出する、〈4〉夏子は本件旧宅のうちの四・五畳の一部屋に居住し、生活上の設備は太郎夫婦と共用するが、夏子は生活費の分担金として月額三万円を太郎に支払うことなどを合意し、その旨の約定を記載した昭和五六年六月二一日付けの家屋賃貸借契約書を、被控訴人一郎を立会人として取り交わした。夏子が八二歳の時のことであった。

(11)  夏子と太郎との間で、右のとおり、夏子が生活費の分担金として月額三万円を太郎に支払うという取り決めがなされたのは、次のような事情からであった。すなわち、被控訴人一郎、控訴人及び四郎は、既に昭和五四年三月に北海道拓殖銀行巣鴨支店に夏子名義の普通預金口座を開設し、これに夏子のための生活費用を積み立てることを合意し、右三名が同月から毎月一定額を入金していた。そして、右の預金通帳は、被控訴人一郎が保管し、その出し入れを管理していた。ところで、夏子、太郎及び被控訴人一郎は、昭和五六年六月に右の賃貸借契約の合意がなされた際約定賃料九万円のうち、二万円は夏子名義の右預金口座に引き続き入金し、その余の七万円のうち二万円は本件旧宅の敷地の賃料(当時の月額は二万円)に充て、これを太郎が地主に支払い、残った五万円を夏子に渡そうとした。しかし、被控訴人一郎から夏子は金銭感覚が疎く、手持ち金があればすぐに使ってしまうので、五万円は老人に渡す金額としては多すぎるとの意見が出されたので、そのうち三万円を夏子の生活費の分担金として太郎が受け取ることとし、残り二万円を夏子に渡すということにしたものであった。なお、右の預金口座に積み立てられた預金は、右契約締結の前後を通じて、本件旧宅の補修や植木の手入れの費用、火災保険料及び三郎の死亡後一五年の記念祭の費用の支払いのために使用されていた。

(12)  夏子は、昭和五七年ころ義弟(亡夫三郎の弟)に当たる乙川五郎(以下「五郎」という。)に将来のことについて相談を持ちかけたが、その内容は次のようなものであった。すなわち、長い間控訴人夫婦の世話になっており、今後も同夫婦に面倒を見てほしいが、それに報いるために、本件借地の賃借権を処分してその所有権の一部を買い取り、その土地を太郎に貸し、その地上に太郎所有の建物を建ててもらって、自分もそこで一生面倒を見てもらいたい。そして、その土地の所有権は将来控訴人に譲りたいというものであった。五郎は、夏子の考えに賛同し、地主との交渉を引き受けた。そして、五郎が地主の高崎重男と交渉した結果、高崎は、本件借地の賃借権を買い取り、その土地の所有権のうち借地権の買取り代金額に相当する部分を夏子に譲渡するという、いわゆる等価交換の方法で右問題を処理することを承諾した。

(13)  そこで、五郎は、事の次第を太郎及び控訴人に話した。しかし、その話は、太郎及び控訴人としては、夏子には、甲野家に嫁いだ控訴人のほかに、被控訴人ら及び四郎の三名の男子がいるので、同人らの同意がなければ、たやすく応じられない話であった。そこで、太郎は、即答を避け、被控訴人らと相談することにした。

太郎は、昭和五八年春ころ、被控訴人らに、当時豊島区池袋にあった被控訴人二郎の勤務先に積水ハウスの営業所に集まってもらい、被控訴人らに五郎らの話を伝えて、相談をした。被控訴人一郎は、夏子が将来も太郎及び控訴人に面倒を見てもらうためにはそのようにするのが一番良いと答えた。そこで、太郎が更に、五郎の話のとおりに事が運ぶと乙川家の土地は将来甲野の土地になるがそれでも良いかと尋ねたところ、同被控訴人は、今後も控訴人が責任をもって母の面倒を見てくれるのであれば、右土地の問題は控訴人及び太郎の自由に任せても良いと答えた。また、被控訴人二郎も、そのことに賛成するとともに、唯一の条件として、自分が所長をしている積水ハウスの川越営業所に建物の建築を請け負わせてもらいたいと要望し、太郎も、それを承諾する旨答えた。なお、四郎は、当時名古屋市に住んでいたため、右の話し合いには出席することができなかったが、被控訴人一郎が責任をもって同人の承諾も得るということで、その話し合いが終わった。そして、その後被控訴人一郎は、四郎の承諾を得た。

(14)  右のとおりの経過で夏子の計画、提案について被控訴人ら、控訴人、四郎及び太郎の関係者全員の同意が得られたので、夏子は、高崎との交渉を進めた。そして、夏子は、本件土地の所有権を将来控訴人に取得させることについても、被控訴人ら及び四郎の同意が得られものとして、本件土地の所有権を控訴人に遺贈することを内容とする遺言をしたいと考え、弁護士の渡邊道子に相談した。渡邊弁護士は、夏子から事の次第を聞き、土地の権利の帰属がはっきりしてから公正証書による遺言をしてはどうかと助言した。

夏子は、高崎との交渉の結果、借地権との等価交換の方法により、昭和五八年九月一日に本件土地の所有権を取得することができた(なお、登録免許税などの移転登記に伴う費用は、被控訴人一郎が管理する夏子名義の前記預金から支払った。)。そこで、太郎は、同年八月に本件旧宅を取り壊した上、同年一二月二四日までに本件土地上に木造スレート葺二階建ての居宅(床面積は、一、二階とも六七・〇七平方メートル)を新築して(以下この建物を「本件建物」という。)、太郎及び控訴人の家族と夏子とが入居した。そして、その建築は、被控訴人二郎が要望したとおり、同人が所長をしていた積水ハウスの川越営業所に請け負わせて行った。また、右建築の際、太郎及び控訴人は、八五歳の夏子のことを念頭において、本件建物の間取りなどは、夏子が使い易いように設計し、夏子の居室にも便所を設け、居室に隣接して夏子用の台所も設置した。更に、夏子が寝たきりになって控訴人による介護が必要になったときのことを考え、控訴人が近くに寝起きして介護することができるように夏子の居室の隣に小部屋をも設けた。また、夏子は、若い時に背骨を折ったことによる後遺症が残っていて、その症状を緩和するために入浴することを好んだので、屋根に太陽熱温水器を取り付け、暖房設備も安全を第一に考えたものを設置した。そして、太郎は、本件建物の建築のために住宅ローンを借り受け、平成二年三月現在でも毎月約七万円宛を返済しており、返済期間はその後少なくとも一〇年以上残っている。

なお、太郎が本件建物を新築した理由の一つは、本件旧宅が大変古くなり老身の夏子の介護に不向きになったからであって、本件建物は右のとおり実際にも夏子による使用の便を考えた設計になっている。そして、太郎は、夏子から、被控訴人ら及び四郎が本件土地に対する相続権を放棄し、本件土地の所有権は将来控訴人が単独で取得し得ることになったと聞いたことにより、本件土地に関する権利関係が磐石なものになったと認識し、かつ、そのように信じて本件建物を新築したものである。したがって、太郎としては、夏子の死亡後、本件土地が控訴人の単独所有になるのではなく、夏子の共同相続人である控訴人、被控訴人ら及び四郎の四名の共有になるということであれば、本件土地上に本件建物を建築することはしなかった。

(15)  このようにして、本件土地の所有権の取得と本件建物の建築の問題の処理が片付いたので、夏子は、昭和五八年一二月一日に控訴人を伴って渡邊弁護士の事務所を訪れ、先に相談した遺言の手続を進めてもらいたいと依頼した。渡邊弁護士は、その際、民法上遺留分制度があること、その遺留分制度の趣旨及び遺留分放棄の手続などについて夏子に説明した上、本件土地の所有権を控訴人に遺贈することを被控訴人ら及び四郎が承諾しているのかどうかについて尋ねた。夏子は、被控訴人ら及び四郎を深く信頼していたので、はっきりした態度で、「話せば大丈夫。分かってくれる。」と答え、渡邊弁護士が遺留分の放棄については家庭裁判所の許可が必要であると説明しても、被控訴人ら及び四郎を信頼しているからその必要はないとして、全く問題にしなかった。そこで、渡邊弁護士は、夏子の毅然とした態度から、それ以上の説得を諦めたが、将来問題となることもあるので、せめて念書のような形ででも被控訴人ら及び四郎の承諾内容を書面に残しておいたほうが良いのではないかと勧めて、そのための念書の文案を認めてこれを夏子に渡した。

(16)  夏子は、渡邊弁護士の助言に従い、そのころ、被控訴人ら及び四郎に、本件土地の所有権は控訴人に単独で相続させることに同意して、それに対する権利を主張しない旨の念書を書いてもらうことにしたところ、被控訴人ら及び四郎も、これに同意する旨の返事をした。そこで、夏子は、昭和五九年二月一二日に被控訴人一郎及び四郎を本件建物内の自室に呼び、自らが「乙川夏子所有の東京都中野区二宅地一二二・三一平方メートルにたいしては、わたしたちは甲野春子に相続させることをみとめて権利を主張いたしません」と記載した書面を示して、これに署名、捺印するように求めた。これに対して、四郎は、右の書面の記載内容を確認した上、これを承諾して、署名、捺印した。被控訴人一郎も、右記載内容を確認し、それを承諾するとともに、四郎の署名の後に、自ら「乙川夏子所有の土地の相続に関しては、従来主張せる如く相続権を放棄する事に依存無きも、条件として乙川夏子に対する扶養及び一切の面倒を責任をもって実行する事」との一文を書き加えた上、署名し、指印した。

また、被控訴人二郎は、当日は、勤務の都合で夏子の許に来ることができなかったので、夏子は、同年三月二一日ころ被控訴人二郎に対し、手紙を書き、先に私のことを思って遺留分は主張せず、その権利を放棄すると約束してくれたことに感謝する旨、被控訴人一郎及び四郎も遺留分の放棄に同意するとともに、口約束だけでは安心できないからといってその権利を主張しないことを記載した書面に署名、捺印してくれた旨、並びにその際、被控訴人一郎及び四郎が被控訴人二郎にも頼むように言っていたので、何とか都合して、三月中に右書面に署名、捺印してもらいたい旨を依頼した。そして、夏子は、そのころ、電話ででも、被控訴人二郎に対し、同旨の依頼をした。そこで、この依頼を受けた被控訴人二郎は、同年三月二九日に夏子の許を訪れ、被控訴人一郎及び四郎が署名、捺印した前記の書面の記載内容を確認した上、それを承諾する旨返答して、右書面の被控訴人一郎の署名部分の次に併記して署名、捺印をした。このようにして作成された書面が〈書証番号略〉であり(ただし、その裏面の記載は、その後夏子によって記載されたものである。)、そして、被控訴人らによる右書面への署名、捺印は、被控訴人らの全くの自由意思に基づいてなされたものである。

(17)  夏子は、このようにして渡邊弁護士から助言された念書も作成されたので、予て考えていた遺言をすることとし、昭和五九年七月三日に同弁護士及び夏子の友人の娘である小尾美繪とともに公証人の事務所に出頭して、同弁護士及び右小尾を証人として、当事者間に争いのない本件遺言をした。

なお、夏子は、本件遺言をした日の前後において合計六回渡邊弁護士の法律事務所を訪れているが、毎回控訴人が付き添ってはいたものの、夏子の判断能力はしっかりしており、控訴人に口を挾ませることはせず、毅然とした態度で自らの意思に基づいて事を処理した。

(18)  その後は、夏子にとっては平穏な日々が続いたが、夏子は、前記のとおり以前に背骨を折ったことによる後遺症があり、本件遺言をした後は、その後遺症の影響もあって、体も弱り、寝たきりというわけではないが、昼間は横になっていることが多くなった。夏子の右後遺症の症状は、主として、背中、腰部、脚部の激しい痛みであるが、昼間は気が紛れて何とか我慢することができたものの、夜になると苦痛を強く訴える状況であった。そして、このような症状は、既に昭和五八年ころから出ており、夏子は、そのころから、入浴して身体を温めるとそのような症状が緩和されるため、好んで入浴し、特に、症状が激しいときには一晩に三回も入浴することがあった。しかし、夏子は高齢であったので、同人が一晩に三回も入浴するということは、その介護をする控訴人にとっては、精神的及び身体的に大へんな負担であった。特に入浴中は、夏子の安全を気遣って何度も同人の様子を見なければならず、また、入浴後も、夏子が水を出し流したままで、後始末を忘れることもあったので、その注意をする必要があり、控訴人としては気の休まることがなかった。

そして、夏子は、亡くなる一箇月位前から寝たきりの状態となり、控訴人の看護を受けながら、昭和六二年二月一〇日に老衰による心不全で、死亡した。享年八八歳であった。

(19)  なお、被控訴人らは、本件訴訟に先立ち東京家庭裁判所で行われた調停の手続においては、本件土地の価格は約一億六〇〇〇万円であると主張し、また、当審においては、その価格は約二億二二〇〇万円であると主張しているのに対し、控訴人自身は、その本人尋問において、その価格は約一億一一二〇万円(一坪当たり三〇〇万円)であると述べている。したがって、その評価額には開きがあるが、いずれにしても、本件土地の価格はかなり高額なものであって、控訴人には被控訴人らに対し本件遺贈の目的物の価額を弁償することによってその返還義務を免れるだけの経済的な能力はないから、もし本件遺留分減殺の請求が認められると、控訴人及び太郎は本件土地及びその土地上の本件建物の所有権を処分せざるを得なくなり、控訴人及び太郎は多大の損害を被ることになる。

2  そこで、以上の認定事実に基づき、先ず、抗弁1について判断する。

控訴人は、前記〈書証番号略〉に基づいてなされた、被控訴人らが本件土地に関する権利を放棄し、本件土地の所有権を控訴人に相続させる旨の合意は、本件土地につき控訴人に寄与分があることを認める旨の合意ないしは控訴人が本件土地の所有権を取得しても被控訴人らは夏子から同人らの遺留分を侵害しない程度の特別受益を受けていることを認める旨の合意であるから、控訴人が本件土地の所有権を本件遺贈により取得しても、被控訴人らの遺留分を侵害することはないと主張する。そして、前記の認定事実によると、被控訴人らは、夏子に対し、本件土地についての権利を主張しない旨の意思表示をした上、前記の〈書証番号略〉に署名、捺印(指印を含む。)していることが認められる。

しかしながら、右〈書証番号略〉が作成されるに至った経緯は前記認定のとおりであって、それらの認定事実によっても、被控訴人らと控訴人との間で、又は被控訴人らと夏子との間で、控訴人の主張するような趣旨の各合意が成立したものとまでは認めることはできない。したがって、控訴人の抗弁1は、理由がない。

3  そこで、更に抗弁2について判断する。

(一)  遺留分減殺の制度は、一定の相続人に遺産の一部を留保することを保障するため、被相続人の自由意思に基づく財産の処分であっても、これを侵すことができないものとし、被相続人のした遺贈・贈与の結果、その相続人がこの遺留分相当額を留保し得ない場合には、その遺贈・贈与を減殺して、右相当額を回復することを求めることができるとする制度である。すなわち、民法九六四条は、その本文において、遺言者は包括又は特定の名義でその財産の全部又は一部を処分することができるものとして、遺言による自己の財産の処分の自由を認めるとともに、その但し書において、遺留分に関する規定に違反することができないと定めている。そして、同法一〇三一条は、遺留分権利者は遺留分を保全するに必要な限度で、遺贈・贈与の減殺を請求することができる旨規定している。しかしながら、遺留分減殺請求権も私法上の権利であるから、民法の一般原則に従い、信義に従い誠実にそれを行使することを要し、その濫用が許されないことは当然である。

(二)  そこで、被控訴人らの本件遺留分減殺の請求が権利の濫用に当たるか否かについて検討するに、前記の認定事実によれば、次の各事情か認められる。

(1)  控訴人は、昭和四一年四月二日に本件旧宅に移住してから昭和六二年二月一〇日に本件建物で夏子が死亡するに至るまでの約二一年の長期間、夫の太郎及び二人の子供とともに、老齢(六七歳から八八歳まで)の夏子と同居して、同人の扶養、看護を直接に担当し、同人に対する親身の孝養を尽くして来たほか、その間に支出した本件旧宅の修繕費用、その敷地の賃借料等の大部分をも負担して来たものであって、その間における控訴人及び太郎の身体的、精神的及び経済的負担は相当に大きいものであった。また、控訴人が夏子と同居するため本件旧宅に移住しなければならなくなったことから、夫の太郎は、何度もの抽選の末ようやく入居することができた東京都住宅供給公社の賃貸住宅である大蔵住宅の賃借権を放棄することを余儀なくされるとともに、その後昭和五八年一二月に本件土地上に同人所有の本件建物を建築するに至るまで、自己所有の建物を取得する機会を持つことができなかった。

(2)  右のごとく控訴人及び太郎が夏子と同居して、同人の扶養、看護を担当することになったのは、専ら被控訴人ら及び四郎(以下単に「被控訴人ら」という。)側の事情(三郎の死亡後、最初は被控訴人一郎が夏子と同居していたが、同人の家庭及び勤務の都合で、特にその妻冬子と夏子との折り合いが悪かったため、その同居を継続することができなかったし、被控訴人二郎も、そのころ大学生であったことから、夏子の身の回りの世話をすることができなかった。)と、同人らの強い要望によるものであって、控訴人又は太郎側の事情や希望によるものではなかった。そして、控訴人及び太郎が夏子と同居して、同人の扶養、看護を担当することになったことにより、被控訴人らは、夏子の生活費の分担金として若干の金銭的支出をしたほかは、同人の扶養、看護を直接に担当する苦労を免れ、それに相当する身体的、精神的及び経済的利益ないし自由を享受することができた。

(3)  ところで、夏子は、昭和五七年ころ、控訴人及び太郎がそれまで長年にわたり夏子と同居してその面倒を見てくれたことに報いるとともに、将来も同様に面倒を見てもらうため、本件旧宅の敷地の一部の所有権を、同人が有した右敷地の賃借権との等価交換の方法で買い取り、その土地上に太郎所有の建物を建築してもらうとともに、将来はその土地の所有権を控訴人に譲渡することを太郎及び控訴人に提案した。この提案を受けた太郎及び控訴人は、昭和五八年春ころ、そのことを被控訴人らに相談したところ、被控訴人一郎は、夏子が将来も太郎及び控訴人に面倒を見てもらうためにはそのようにするのが一番良い、同人らが将来も責任をもって夏子の面倒を見てくれるのであれば、右土地の問題は夏子と控訴人及び太郎の自由に任せるとして、右提案に賛成した。また、被控訴人二郎も、右提案に賛成するとともに、その唯一の条件として、太郎が右土地上に建物を建築するときには、その建築を自分が所長をしている積水ハウスの川越営業所に請け負わせてほしいと要望し、太郎も、これを承諾した。

(4)  被控訴人らが夏子の右提案に賛成したので、夏子は、昭和五八年九月一日に前記のとおりの方法で本件土地の所有権を取得し、また、太郎は、同年一二月二四日までの間に、本件旧宅を取り壊した上、同人の費用負担で本件土地上に本件建物を建築し、家族及び夏子とともに、これに入居した。そして、太郎は、本件建物は、被控訴人二郎との前記約束に従い、積水ハウスの川越営業所に請け負わせて、これを建築した。なお、太郎は、本件土地が将来控訴人の単独所有になることを被控訴人らが承諾しないのであれば、本件土地上に本件建物を建築することはしなかった。

(5)  そこで、夏子は、本件土地を控訴人に相続させる旨の本件遺言をしようとして渡邊弁護士に相談したところ、同弁護士から民法上の遺留分制度等に関する説明を受けるとともに、仮に夏子の相続人である被控訴人らによる家庭裁判所に対する遺留分放棄の許可の申立てがなされない場合でも、せめてその旨の念書でも取っておいた方がよいとの助言を受けたので、夏子は、その助言に従い、被控訴人らに対し、本件土地の所有権を控訴人に単独で相続させることを認め、被控訴人らは本件土地につき権利を主張しない旨の書面(〈書証番号略〉)に署名、捺印することを求めたところ、被控訴人一郎において、右書面の末尾に、本件土地につき相続権を放棄することには依存がないが、控訴人が夏子に対する扶養及び一切の面倒を責任をもって実行することを条件とする旨の一文を付加した上、被控訴人一郎は昭和五九年二月一二日に、被控訴人二郎は同年三月二九日にそれぞれ右書面に署名、捺印(被控訴人一郎は指印)をしている。そして、被控訴人らによる右書面への署名、捺印は、被控訴人らの全くの自由意思に基づいてなされたものである。

(6)  夏子が昭和五九年七月三日にした本件遺言は、以上の理由と経緯に基づいてなされたものであって、控訴人及び太郎が昭和四一年四月以来長年にわたり老齢の夏子と同居して、同人の扶養、看護を直接に担当し、その世話をしてくれたこと及び将来も同様の世話をすることを約束してくれたことに対する謝礼ないし代償の趣旨でなされたものである。したがって、本件遺言の内容には、格別不合理ないし不自然な点は認められない。しかも、本件遺言は、渡邊弁護士の助言に従い、夏子の自由意思に基づいてなされたものである。

(7)  なお、被控訴人らが夏子及び控訴人、太郎の夫婦に対してなした、本件土地の所有権を控訴人に単独で相続させることを認め、被控訴人らは本件土地につき権利を主張しない旨の意思表示は、相続の開始前になされた相続分ないし遺留分の放棄の意思表示に該当すると解すべきところ、その放棄についての家庭裁判所の許可の審判を経ていないことは明らかである。しかしながら、前記認定の事実関係からすれば、もしその放棄について民法一〇四三条による家庭裁判所の許可の審判の申立てがなされていたとすれば、当然にその許可がなされるべき事案であったと認められる。

(8)  そして、もし夏子の控訴人に対する本件遺贈につき、被控訴人らによる本件遺留分減殺の請求が認められ、本訴請求が認容されると、控訴人には、本件遺贈の目的物の価額を弁償することによってその返還義務を免れるだけの資力はないから、結局、控訴人及び太郎は、本件土地及び本件土地上に建築した本件建物の各所有権を処分せざるを得ないことになり、同人らが予期しなかった多大の損害を被ることになることは必定である。

(三)  以上の事情を総合して考察すると、被控訴人らによる本件遺留分減殺の請求は、信義誠実の原則に反するものであり、権利の濫用に当たるといわざるを得ないから、本訴請求はこれを認容することができないものというべきである。

よって、控訴人の抗弁2は、理由がある。

三  以上の次第であって、被控訴人らの本訴請求は、結局いずれも理由がないから、これを棄却すべきである。よって、右の判断と結論を異にする原判決を取り消した上、被控訴人らの本訴請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 奥村長生 裁判官 渡邉等 裁判官 富田善範)

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